インターデザインフォーラム TOKYO 2024 VOL32
インターデザインフォーラム TOKYO 2024 VOL31
インターデザインフォーラム TOKYO 2024 VOL30
インターデザインフォーラム TOKYO 2024 VOL29
インターデザインフォーラム TOKYO 2023 VOL27
インターデザインフォーラム TOKYO 2023 VOL26
インターデザインフォーラム TOKYO 2023 VOL25
インターデザインフォーラム TOKYO 2023 VOL24
インターデザインフォーラム TOKYO 2022 VOL22
インターデザインフォーラム TOKYO 2022 VOL21
インターデザインフォーラム TOKYO 2022 VOL20
インターデザインフォーラム TOKYO 2021 VOL18
インターデザインフォーラム TOKYO 2020 VOL15
インターデザインフォーラム TOKYO 2020 VOL14
インターデザインフォーラム TOKYO 2020 VOL13
インターデザインフォーラム TOKYO 2019 VOL12
JIDF学生文化デザイン賞2019
インターデザインフォーラム TOKYO 2019 VOL11
インターデザインフォーラム TOKYO 2019 VOL10
インターデザインフォーラム TOKYO 2018 VOL9
JIDF学生文化デザイン賞2018
日本文化デザインフォーラム 2012 アートプロジェクト with 北本ビタミン
BS12TwellVでの番組『発想力学~トップクリエイターのアタマの中~』
里山のつどい・日本文化デザインフォーラム「自然学」プロジェクトin秦野
日本文化デザイン会議 2010 アートプロジェクト with 北本ビタミン
昨年から始まった「対談シリーズ」の第3回目。JIDFのメンバー同士、あるいはゲストをお呼びしての、正面向き合った本気トーク。モノローグの深く自分と向きあったトークも大切ですが、人と向かい会った時に、予期せぬ化学反応が起きて、あらぬ彼方に話題が移行する、そんなスリリングな、予定調和のない展開をめざしています。一応今なんとなく気になっているキーワードを挙げてもらいますが、話がその筋書き通りに行くかどうかはわかりません。「腹の探り合い」「罠の仕掛け合い」、異種格闘技のような、話すことの大胆不敵、対談素敵な会になりますことを期待しています。
(黒川雅之)
広告コピーライター/CMプランナー/クリエイティブディレクター 慶應義塾大学経済学部卒業後、広告代理店電通に入社。クリエイティブ局でコピーライターとCMプランナー。TCC新人賞受賞。97年より環境NGOの広告に取り組み、2002年に環境広告会社「サステナ」設立。エコライフスタイル誌『エココロ』創刊。2007年電通退社。サステナ代表取締役就任。NGO、市民グループ、テレビ局、環境企業、省庁、地方自治体など多様な主体、多岐にわたる媒体での、環境キャンペーンのネーミングや企画立案や制作を行う。「100万人のキャンドルナイト」呼びかけ人代表幹事 (2001~)、「ほっとけない世界のまずしさ」2005年実行委員、ふゆみずたんぼ、大地を守る会、フードマイレージ、HIKESHI、bセンス、いきものみっけ、生活クラブ、エネシフジャパン、グリーンアクティブ、緑の日本、等手がける。京都芸術大学客員教授・東北芸術工科大学客員教授、東京外国語大学助教、立教大学・上智大学・慶応大学・放送大学・東京大 学非常勤講師を歴任。 石川県いしかわエコデザイン賞・副審査委員長 (2011~)。アクト・ビヨンド・トラスト助成選考委員。 全国エコメッセージ絵画コンクール審査員。産業技術総合研究所研究員。日本文化デザインフォーラム会員・幹事。東京コピーライターズクラブ会員・幹事。主著に 『エコシフト』 (講談社新書)。
東京外国語大学名誉教授/ジャズ・トランペッター 2001年、9.11同時多発テロ後、タリバン政権を崩壊させた米国・NATOの 占領政策の中で、日本政府特別代表として、アフガン軍閥(北部同盟)の武 装解除・動員解除・社会再統合を成功させた。国連キャリアとしては、国連シエラレオネ派遣団 (UNAMSIL)の幹部として、約五万人の反政府・親 政府民兵組織の解体を指揮、10年に及ぶ内戦の終結に貢献した。 それ以前には、独立間際の東チモールで国連暫定行政府 (UNTAET) の県知事を務め、国連平和維持軍・文民警察を統括し、同国を完全独立に導いた。伊勢崎の国際キャリアの基盤をつくったのは、世界有数の国際NGO、Plan Internationalの現地事務所長として、シエラレオネ、ケニア、エチオピアの3カ国の農村開発に従事したことである。 1990年、シエラレオネでは、 外国人が政治的要職に就くのは歴史上初であったが、故ジョセフ・サイドゥ・モモ大統領により同国第五の都市マケニ市の議員に任命され、内戦 勃発まで務めた。 伊勢崎は元々早稲田大学建築学専攻であり、日本を代表 する建築家・登山家・探検家、吉阪隆正の生前の最後の弟子である。吉阪 の死後、同大学院にて学業を続けるも、ある日の授業中に「権威におもねるのが建築家だ」と言い放った別の教授の一言で日本を見限る決意を固め、インドに留学した。それが伊勢崎の国際キャリアの発端となった。アフガニスタンでの生死にかかわる任務においてジャズに目覚め、プロのトランペット奏者として都内でライブ活動を行なっている。